芳野真弥の確率Blog

僕たちが変えられるのは確率だけ(たぶん)

就活生に必要なコミュニケーションとは? ~「企業目線」は役に立たない~

 

マーケティングを含む、あらゆるコミュニケーションの第一歩は「ターゲティング」だと思います。つまり、誰に伝えるのか。その人(たち)は、何を期待していて、どんな思考特性や行動特性を持っているのか。そういったことを仮説でもいいので想定しておかないと、その他のあらゆるコミュニケーション設計図、つまり「何を伝えるか」「どう伝えるか」といったことを適切に考えることはできません。

 

WEB上に溢れている就活ネタの記事を読んでいると、やたらと「企業目線」とか「企業が求めていること」というのが謳ってありますが、はっきり言ってこのセグメンテーションは大ざっぱ過ぎます。

 

例えば、一次面接に出てくる「若手採用担当者」と、二次面接に出てくる「技術開発部の部長」と、最終面接に出てくる「役員」は、学生に求めていることや見ている視点が全然違うので、「企業」っていう大きな括りをで考えると、かなりいろんなことがズレていきます。

 

女子高生と、バリバリ働いているキャリアウーマンと、子育てをしている主婦が、それぞれ求めている化粧品は異なります。それを「女性が求めている化粧品」という大きなセグメンテーションのままターゲティングして、商品開発をしたら、いろんなことがブレブレになるに決まっています。

 

就活生に求めてられているミュニケーションというのは、まさにこのように「相手の期待や知識に合わせて、同じことでも伝え方を変える」ということで、これができるようになると、だいぶ就活がラクになります。しかし、実際には、ほとんどの就活生は面接がただの「準備してきたことの発表会」になっているので、まずはコミュニケーションの基本的なマインドセットを変えなければなりません。はっきり言って、準備通りに話せたかどうかなんてどういでもいいし、聞いている側からすると知ったことではないのです。

 

ということで、まずは、就職活動における「企業」というのをもう少し細分化していき、それぞれの相手がどういう人なのかを分析するようにしましょう。その際、大事なことは、人間には「表出化した願望」と「無意識化の願望」があるということです。この辺の詳しい話はまた改めて機会があれば・・・。

 

 

記憶のトリガー

 

久しぶりに音楽を聴いたら、その曲をよく聴いていた頃のことを思い出しました。みなさんも、音楽や匂いがトリガーになって、記憶が呼び覚まされるという経験はお持ちだと思います。

 

僕は、このトリガーを忘れ物対策に使うことがあります。例えば、明日必ず印鑑を持ってくるよう会社で言われた時は、「家に帰って部屋の電気をつけた瞬間に印鑑を思い出す」というイメトレを頭の中で3回くらいやります。すると、家に帰って電気をつけた時、本当に印鑑のことを思い出せる訳です。他にも、「帰宅時、駅の改札を出た時にドラッグストアで洗剤を買うのを思い出す」ように、トリガーを仕掛けておいてもいいです。

 

もちろん、携帯電話のアラームとか、他にもいろいろ忘れない仕掛けはやっておいた方がいいのですが、今のところこの「記憶のトリガー」を使って思い出せなかったことは一度もないです。みなさんもやってみてはいかがでしょうか。

 

今この記事を読んでいる方は、次に冷蔵庫を開けた時「野球のバット」を思い出します。実際に冷蔵庫を開けたらバットを思い出すというイメージ(文字じゃなくて映像を想像するのが大事)を3回やってみてください。

 

冷蔵庫開けたらバット

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冷蔵庫開けたらバット

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冷蔵庫開けたらバット

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結果のご報告、お待ちしております(笑)

 

※画像はAmazonより。

 

 

学校の存在価値(その3)

 

学校の存在価値(その1)

学校の存在価値(その2)

 

最後に、学校が提供できる価値として「人」があります。特に、教科書に載っていないようなことを教えてくれる先生に会って話を聞けるというのは、とても重要な点で、私のような教える側の人間はこれを常に意識しないと生き残れないのではないかと思います。

 

ただし、多くの場合、属人的な知識やスキルが体系化されることはなく、学ぶ側は散財した情報を拾い集めながら、脳みその中で原理原則のレイヤーまで落としこんで自分のものにしていかなければなりません。これが本来の「大学で授業を受ける態度」です。大学の先生なんて(ごく一部を除いて)、学生の脳みそにインストールできるフォーマットに変換して教えてくれることはありませんからね。

 

・・・ということで、確かに「学校に行く以外の選択肢がある」というのは僕もその通りだと思いますが、決して学校に価値がない訳ではないと思うのです。ちなみに、日本の子供の人口は減少していっているので、学校のあり方はこれまで通りではなくなるでしょうけど、単に「より高い価値をより多く提供できる学校」が生き残ればそれでいいんじゃないでしょうか。

 

 

 

学校の存在価値(その2)

 

前回の記事はこちら。

 

次に学校の存在価値として考えられるのは「体験」です。それは、理科の実験であり、研究であり、体育祭であり、文化祭であり、休み時間のお喋りやドッジボールです。これらは、生きていくのに絶対必要という訳ではないですし、学校以外でも体験することは可能ですが、まあ学校が提供する一つの価値ではあるでしょう。

 

学生起業でもして生きていくなら上記のような体験をする必要はないのですが、実際のところ、ほとんどの人はそういう訳ではないでしょうし、役立つかどうかはともかく、面白さとしての価値はありそうです。

 

実際、最近は教育をはじめとする様々なビジネスで、知識やデータの提供ではお金を取れないので、体験をサービスとして提供しないと生き残れないみたいなことが言われていたりします。

 

高校や大学の授業料なんて、ほとんどはこの「体験」のためだけに支払っているようなもんで、教科書の知識を学習するだけなら、年間何十万円も払って学校に行く意味はほとんどありません。

 

(続きはこちら)

 

 

 

 

 

 

 

 

学校の存在価値(その1)

 

今や良質な書籍やWEBコンテンツなどによって、誰もがあらゆることを自分で学習することができるようになりました。さらに、知らない専門家にダイレクトにコンタクトを取ることも容易にできるようになりました。この状況下で、新しいことを自分で学べない奴はどうしようもないと言ってもいいくらいです。例えば、真面目にビジネスをやろうと思ったら、大学4年間で学ぶことを1ヶ月くらいで自分で習得するくらいのことを頻繁にやる必要があります。

 

じゃあ、学校というものは不要なのでしょうか。最近、学校不要論(特に大学)を唱える論客が増えてきているように感じますが、僕は学校には一定の存在価値があると考えています。そのいくつかを説明してみたいと思います。

 

まず最初に考えられるのは「共同意識」です。これは何も自己犠牲の精神とか集団生活うんぬんみたいなやつではありません。何かを目指す時に、良い意味でそれが「当たり前」だと思うマインドセットのことです。

 

例えば、僕は中学3年生の時に、愛知県では有名な某進学塾に通っていました。そこの上位クラスでは、あたかも「◯◯高校(県内トップ校)」に行くのが当たり前で、その高校以外を受験するなんてあり得ないみたいな雰囲気がありました。これは、ある意味でキャリアの選択肢を狭めているという側面もありますが、こういう雰囲気の中でないと高いレベルを目指せない人はたくさんいるのではないでしょうか。

 

たぶん、開成とか灘とかの名門校が持っているコアコンピタンスはこの「共同意識」だと思います。そして、おそらく甲子園や花園や国立競技場に出場する学校も。こういう学校って、先生もまあそれなりに優秀だとは思いますが、それ以上に周囲がみんな当たり前のように「◯◯を目指している」という雰囲気がトップアップにもボトルアップにも効いてるんだと思います。


(続きはこちら)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人生における期待値の話

 

サイコロを振って、偶数が出たら100円貰えて、奇数が出たら100円払わないといけないゲームがあったら、あなたはやりますか?このゲームの期待値は0なので、やればやるほど時間だけを失っていくことにますね。しかし、1回くらいならほとんど時間もかからないので遊びとしてやってみてもいいかもしれません。

 

次に、サイコロを振って、偶数が出たら120円貰えて、奇数が出たら100円払わないといけないゲームを考えます。これは期待値が+10円なので、やればやるほど儲かります。最初は統計的なゆらぎによって損するかもしれませんが、十分にゲームの回数を増やせば期待値に収束していきます。しかし、問題は機会コストで、サイコロを振って金銭の授受をするために1ゲーム10秒かかるとすると、1時間に360回しかできないので、平均3600円しか儲けることができません。1時間あたりの収入がこれ以上のビジネスパーソンは、真面目に自分の仕事をした方が良さそうですね。

 

続いて、偶数なら1万20円貰えて、奇数なら1万円払うゲームを考えてみましょう。これは期待値が先程と同じ+10円ですが、分散が違います。先程のゲームなら気軽にやったけど、今回は躊躇するという人が増えるでしょうね。実際、金融の世界では、期待値が同じでも分散が大きいと人々はそれを敬遠するという心理バイアスが織り込まれて価格が決まっています(リスクプレミアム)。

 

さて、ここまでの3つのゲームを見てみると、期待値・機会コスト・分散を考慮すると「やるべきか」「やらざるべきか」を決められることが分かります。もちろん得られるものや失うものはお金でなくても構いません。

 

なぜ、いきなりこんなことを書いたかと言うと、どう考えても行動した方がいいケースで躊躇する人が驚くほど多いからです。その最たるものが「こういう資料が欲しいんですけどHPに書いてないんです」とか「この会社に入りたいけどHPで募集してないんです」という相談です。そんなのは、電話で問い合わせれば10秒で結果が分かることなんで、ほとんど何も失うことなくプラスの期待値に掛けることができます。絶対にやった方がお得なのです。

 

他にも、人生には非対称な期待値分布をしているものがたくさんあります。上手くいったら何かを得られるけど、上手くいかなったらほとんど何も失わない、みたいなことばっかりなのです。今、躊躇していることが上手くいかなかった時に失うものをよーく考えてみてください。ほとんど何もないでしょ?(笑)

 

人生なんて「こうやれば絶対に上手くいく」なんてものはないので、結局、期待値がちょっとでもプラスのものにどれだけ自分の時間をBETしていくかが全てです。「忙しい」とか「優先順位が」とか言うのは、本当に機会コストの方が上回ってしまう時にだけ、言うようにしましょう。

 

 

 

 

 

 

誰もが賛成することを言うのは、何も言ってないに等しい。

 

集団自衛権のお話、何かすごく気持ち悪かったんですけど、ちょっと考えたらすぐ分かりました(笑) 政治信条ではなく、コミュニケーションという観点でのお話です。

「戦争がイヤだ」というのは、まあほぼ全ての日本人が思っていることで、そこまではコンセンサスが取れてると思うのです。なので「戦争イヤ!戦争イヤ!」と連呼するのは、何も言ってないに等しいです。「お腹が空いたらごはんを食べたいよね」とか「悪いことはしてはいけませんねぇ」みたいなのと同じです。

それで、論点はたぶん2つあって、1つは「どうやって、なるべく戦争が起こらないようにするか?」です。一方は「戦える体制を作っておくことで相手を牽制して戦争を回避する」と考えてますし、他方は「戦わない状態にしておけば他国は攻めてこないはずなので戦争は回避できる」と信じています。まあ、実際にはどちらも戦争が起きる可能性はあるんですけど、ここを論点にして、どちらが実効性が高いか検証すると意味のある議論ができそうです。

もう1つの論点は、それでも「もし万が一、どっかの国が攻めてきたらどうすんの?」です。一方は「一部の人が犠牲になってもほとんどの日本人を守るために戦う」と思っていて、他方は「死ぬくらいなら奴隷でも生きたい」と思ってます。いや、攻めてこないと信じてるからそんなこと思ってないか(笑)…まあいいや。あと、実際には日本から逃げるという選択肢もあります。絶対に起きないという前提を作るのはリスク管理としては最低の部類に属しますので、万が一のことは考えておく必要があるでしょう。

そんな生産性のある議論ができたらいいなー。「話し合い」で何でも解決できると主張する人達は、過激なことしないで今こそその力を見せてよ♪♪ あと、内戦とかやめてね★☆

 


とにかく、完全に正しくて誰もが賛成する内容を連呼しても、あんまり意味がないので、そういうことをレポートに書いたり、ミーティングで発言したりするのはやめましょう!っていうお話でした。

「売上を伸ばそう!」「良い会社にしよう!」「イキイキ()と働こう!」「受注取ってきてよ!」「幸せに生きよう!」「絶対に成功させよう!」・・・・はいはい。で、どうやって??