芳野真弥の確率Blog

僕たちが変えられるのは確率だけ(たぶん)

学校の存在価値(その1)

 

今や良質な書籍やWEBコンテンツなどによって、誰もがあらゆることを自分で学習することができるようになりました。さらに、知らない専門家にダイレクトにコンタクトを取ることも容易にできるようになりました。この状況下で、新しいことを自分で学べない奴はどうしようもないと言ってもいいくらいです。例えば、真面目にビジネスをやろうと思ったら、大学4年間で学ぶことを1ヶ月くらいで自分で習得するくらいのことを頻繁にやる必要があります。

 

じゃあ、学校というものは不要なのでしょうか。最近、学校不要論(特に大学)を唱える論客が増えてきているように感じますが、僕は学校には一定の存在価値があると考えています。そのいくつかを説明してみたいと思います。

 

まず最初に考えられるのは「共同意識」です。これは何も自己犠牲の精神とか集団生活うんぬんみたいなやつではありません。何かを目指す時に、良い意味でそれが「当たり前」だと思うマインドセットのことです。

 

例えば、僕は中学3年生の時に、愛知県では有名な某進学塾に通っていました。そこの上位クラスでは、あたかも「◯◯高校(県内トップ校)」に行くのが当たり前で、その高校以外を受験するなんてあり得ないみたいな雰囲気がありました。これは、ある意味でキャリアの選択肢を狭めているという側面もありますが、こういう雰囲気の中でないと高いレベルを目指せない人はたくさんいるのではないでしょうか。

 

たぶん、開成とか灘とかの名門校が持っているコアコンピタンスはこの「共同意識」だと思います。そして、おそらく甲子園や花園や国立競技場に出場する学校も。こういう学校って、先生もまあそれなりに優秀だとは思いますが、それ以上に周囲がみんな当たり前のように「◯◯を目指している」という雰囲気がトップアップにもボトルアップにも効いてるんだと思います。


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