芳野真弥の確率Blog

僕たちが変えられるのは確率だけ(たぶん)

学校の存在価値(その2)

 

前回の記事はこちら。

 

次に学校の存在価値として考えられるのは「体験」です。それは、理科の実験であり、研究であり、体育祭であり、文化祭であり、休み時間のお喋りやドッジボールです。これらは、生きていくのに絶対必要という訳ではないですし、学校以外でも体験することは可能ですが、まあ学校が提供する一つの価値ではあるでしょう。

 

学生起業でもして生きていくなら上記のような体験をする必要はないのですが、実際のところ、ほとんどの人はそういう訳ではないでしょうし、役立つかどうかはともかく、面白さとしての価値はありそうです。

 

実際、最近は教育をはじめとする様々なビジネスで、知識やデータの提供ではお金を取れないので、体験をサービスとして提供しないと生き残れないみたいなことが言われていたりします。

 

高校や大学の授業料なんて、ほとんどはこの「体験」のためだけに支払っているようなもんで、教科書の知識を学習するだけなら、年間何十万円も払って学校に行く意味はほとんどありません。

 

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