芳野真弥の確率Blog

僕たちが変えられるのは確率だけ(たぶん)

「気遣い」を具現化しよう。(コンセプトページ)

 

「気を遣え!」「気を利かせろ!」「気を配れ!」……こういった言葉を浴びせられて悩んだ人ことのある人、もしくは、具体的にどうすりゃいんだよ!と憤ったことのある人は多いと思います。

 

僕もこれにはずいぶん悩まされました。気遣いについては超疎かったし、そんなのは必要ないと思って生きてきました。合理的なことや論理的に正しいことが正義であり、他人の気持ちなんて知ったことではないと(精神的に)ツッパって生きてきたのです。しかし、そんな僕もいつの間にか改心して、いつの間にか気遣いというのをできるだけやろうとするようになりました。世の中には、先天的に気遣いができる人もたくさんいるのですが、僕は明らかに後天的に身につけてきたものです。なぜ僕はそういう態度を身につけることができたかと言うと、前職の上司が「いちいち指摘してくれた」からです。まあ、今どれくらいできているかはさておき、昔より確実にそういうことを考えるようにはなりました。

 

しかし、世の中のほとんどの人は「気遣い」とかいう抽象的なものを他人に教えることはできません。僕も、分かりやすく伝えるという意味でのコミュニケーションについては専門家ですのでその心構えやスキル習得方法を身につける方法は体系的に教えることができますが、気遣いについては無理です。

 

そこで、このブログでは気遣いの具体的なケーススタディを集めて、掲載していこうと思い立ちました。僕が今考えられる、最も良い気遣いの習得方法は、具体的な場面をたくさん知るということです。「あぁ、そうか。こういう時はこうすればいいんだな。」とか「なるほど。こうすると確かに相手の負担は減るよね。」というのをたくさん知ることで、気遣いとはなんぞやを理解し、そういうことを考えようとするスタンスが身に付いていくのではないでしょうか。

 

最後に、僕が気遣いについていろいろ考え、試行錯誤する中で気付いた、最も大事なことを書いておきたいと思います。それは、「最終的には他人の気持ちなんて分かりゃしない」ということです。全く同じことをしても、ある人は喜び、ある人は怒ることがあります。絶対的な正解はないのです。でも、じゃあ何もしないのが良いのかというとそんなことはありません。それでは一生「できない奴」です。どうせ人生のあらゆることは確率論的にしか分からないので、それを受け入れて、やった方が良さそうなことを推測して、やってみて、ハズしたら修正していく。それしかやりようがないので、そうすればいいんです。量をこなせば推測精度も高まり、質も上がっていくというものです。

 

では、次回から具体的なケースを紹介していきますが、内容は決して「僕が教えてあげる」的なものではなく、僕がしてもらって嬉しかったことや他人から教えてもらったことなど、いろいろです。みなさんも、他人からされて嬉しかったことや、自分が気をつけていることを教えてくださいませませ(コメント欄にどーぞ)。