芳野真弥の確率Blog

僕たちが変えられるのは確率だけ(たぶん)

理系/文系と分けるのはナンセンス?

 

僕は、理系向けの教育を生業としていますし、理系を盛り上げようという団体(理系+)のアドバイザーもやっております。理系の人達にはもっと活躍して欲しいと願っていて、もっと評価されるべきだと考えています。

 

そんな中、最近、「理系」という言葉を使うだけで「理系/文系と分けるのは考え方が古い!」「ナンセンスだ!」みたいな過敏な反応をする人が増えてるように思います。彼ら彼女らの話を聞いていると、どうやらその主張の裏にはどうやら二つのメッセージがあるようです。

 

1、人間はそんな簡単に二種類に分けられない!

ものごとをカテゴリーに分けて、傾向を把握するのは良いことです。なぜなら、そうすると、適切な原因分析と対策が可能になるからです。ある病気が流行った時に、「人類はどうすべきか?」と考えても何も出てきません。地域や年齢や性別で分けると、原因が見えてきて、適切な対策が打てます。理系と文系にも事実それぞれに特徴があり、思考特性や行動パターン、好みなどに違いがあります。それを把握すると、教育なり採用なりの適正化が可能になります。

 

全員にとって良い教育というのはありません。どんな場面でも使える服とかあったらたぶん超ダサいです。誰にでも好まれるお菓子を開発したらたぶん売れません。最低コストで目的を達成しようと思ったら、カテゴリー分けは欠かせないのです。まとめればまとめるほど、何も見えなくなっていきます。

 

ちなみに、個別サンプルを集めてカテゴリーに分けて傾向を把握するのは良いことですが、逆はダメです。つまり「統計データを取って、理系は文系と比べてこういう傾向にある」と言うのはOKですが、一人の理系人を捕まえて「お前は理系だからどうせこういう奴だろう」と決めつけるのはNGです。ただし、「あの人は理系だからこういう人である可能性が高い」という仮説を持つのはOKです。確率で推定することまで放棄したら、傾向を掴んだ意味がありませんからね。ただ「あくまで仮説である」ということは忘れないようにしましょう。

 

 

2、両方必要でしょ!多分野の時代でしょ!

それはその通りかもしれませんが、まずは一つの分野を深めないとお話になりません。「歴史小説も読む物理の学生」と「物理の本ばっかり読んでる物理の学生」だったら、はっきり言って後者の方が有望だと思います。

 

もちろん、自分の専門分野だろうが何だろうが、必要な時には調べて学んでやってみて、という態度は必要です。「僕は理系だから知りません」「私は文系だから関係ありません」というのはダメだと思います。ただ、まずは一つの専門的な分野を習得するということをしないと、他のことだって習得できないんじゃないでしょうか。いきなり入り口から「全部できるように!」「いろいろやりましょう!」は逆に非効率なのではないかと思うのです。

 

 

そんな訳で、僕は「べつに理系/文系という言葉を使ったっていいじゃん!」と思っております。「分けるのは古い」とか「全部やるべき」っていう言葉遊びよりも、分けることで得られるメリットを享受したいです。