芳野真弥の確率Blog

僕たちが変えられるのは確率だけ(たぶん)

僕のキャリア ~物理研究者になりたかったけど気が付いたら社長やってるわろた~ (その7)

 

2回目の官庁訪問も、初回と同じように序盤はサクサクと進んでいった。しかし、また最後の最後で不採用になってしまったのだった。官庁訪問最終日の前日に不合格を告げられた時はかなりショックを受けたけど、ここでダメだということには再現性があるし、僕はこれが今の実力なんだと素直に受け止めることができた。東京から愛知に帰る新幹線の中でも、多少は「うわ~、2年間も就職浪人したのに結局叶わず終了かよ!」と思ったりしたけど、その後は割りとスッキリとした気分で「さて、これから就活どうするかな~」なんて考えていた。

 

僕が就職浪人までして国家公務員を目指していたことを知っていた一部の人たちは、とても悲しみ、中には僕よりも落ち込んで泣きそうになってしまった人もいた。彼ら彼女らは、僕がまだ在学中に就職浪人を決意した時も「絶対大丈夫だよ」「応援してます」などと言ってくれていた。しかし、僕は結果を出せず、応援してくれていた人たちに良い報告をすることができなかった。悔しいけど、それが現実だった。

 

兎にも角にも、僕は翌日からも生きていかなければならない。大学院卒業までに貯めていたお金は、就職活動とオーストラリアでの"特別な"人生体験に使ってしまい、ほぼ底をついていた。こうなったらやることは簡単だ。タウンワークリクナビNEXTを見て、面接に応募すればいい。これから就活をしながらバイトをすることになるので、「どうせなら社会人経験ができる職場がいいなー」なんて思いながら、就職するまでの期間限定でお世話になるバイト先を探していた。そして、この時、僕の今のキャリアに繋がる一つの出会いが訪れることになる。

(続く)

 


理系イベント情報 » 理系キャリアイベント(第1回) ~社会に出てから困らないために、今できること~

僕のキャリア ~物理研究者になりたかったけど気が付いたら社長やってるわろた~ (その6)

 

次年度の官庁訪問までの暇な1年間を有意義"風"に過ごすため、僕はオーストラリアに行ってみることにした。どうせなら語学学校に行くだけじゃなくて、バイトとかもしたいよなー、なんて考えている時にワーキングホリデーという素晴らしい制度があることを知ったのだが、その制度を使える国の中で「英語圏」「気候がいい」という条件をクリアするのはオーストラリアだけだったのだ。

 

結局前後のスケジュールの関係もあって、半年程だけオーストラリアのブリスベンに住むことにした。オーストラリア滞在中の半分くらいの期間は語学学校に通って、残りの期間は現地人と現地の生活を共にしたり、農村に行ってバックパッカーに泊まったり、ダイビングライセンスを取ったりしていた。恐ろしい程に何も生み出していない半年間だったと思うが、少なくとも英語に関しては「こうすりゃいいんだな」みたいなのは掴めたし、日本人含め多くの面白い知り合いができた。

 

ところで、オーストラリアに行く前の官庁訪問では、不採用になったとはいえ、ある省庁から「補欠合格の可能性あり」とは言われていた。4月1日の入省日までに内定辞退者が出たら、補欠合格候補者から繰り上げ採用をすると。しかし、何番目の補欠候補なのかは教えてくれなかった。万が一、繰り上げ連絡の電話に出られなかったら辞退したとみなされて、次の人に声がかかってしまうかもしれない。だから、僕はオーストラリアにも日本の携帯電話を解約せずに持って行ったし、時々、国際電話料金を支払って留守電の確認までしていた。しかし、まさかというか、やはりというか、連絡は全く来なかった。

 

そして、帰国して、再度官庁訪問に挑戦することになる。この時点で就職浪人2年目に突入だ。

(続く)

 


理系イベント情報 » 理系キャリアイベント(第1回) ~社会に出てから困らないために、今できること~

 

 

 

僕のキャリア ~物理研究者になりたかったけど気が付いたら社長やってるわろた~ (その5)

 

それで、仕方なく、しかし乗り気は保ったままで2回目の国家公務員試験を受けた。1回目にやられた小論文対策もやったので、今度はちゃんと受かった。はぁ、やっとだ。しかし、本当の勝負はこれから。なんせ国家公務員に受かることと採用されることは別の話で、採用数/合格者数は4割程度。試験合格者には最後の関門、官庁訪問が待っている。

 

官庁訪問というのは、簡単に言うと各省庁が行う採用面接だ。例えば、初日に文部科学省に行くと1日中拘束されて、3~5人の官僚と面接する。次の日は経済産業省に行ってまた何人もの人たちと面接する。これをなんと約3週間続けるのだ。全ての平日を使って。ただし、途中で少しずつ落とされていくので3週間面接が続けばそれは内定を貰えたということを意味している。

 

僕は面接が嫌いではなかった。それに官僚の人たちは本当に賢くて話をしているだけで楽しかった。だから毎日楽しんで官庁訪問をしていたが、最後の最後で不採用になった。またやってしまった・・・。就職浪人までしたのに、今度は採用面接でダメだった。世の中思い通りにはならない。

 

さてと、次の一手はどうしようか。試験合格の有効期限は3年間。もう一度、今度は官庁訪問だけやり直そう。しかし一年後の官庁訪問まで何して生きていけばいいんだ?日本で普通にバイトしててもしょうがない。僕はこの望まず与えられた超モラトリアム期間を海外で過ごすことにした。だって「就職浪人してバイトしてた」って言うより「留学してた」って言った方が経歴としてちゃんとしてるっぽいじゃん!それに「海外に住む」って何かカッコイイし(笑)

 

(続く)


理系イベント情報 » 理系キャリアイベント(第1回) ~社会に出てから困らないために、今できること~

 

僕のキャリア ~物理研究者になりたかったけど気が付いたら社長やってるわろた~ (その4)

 

そして僕は、国家公務員Ⅰ種採用試験を受けることにした。しかし、これがなかなかのクセモノで、なんというか範囲がめちゃくちゃ広い。国語・算数・理科・社会は当たり前。理科は物理・化学・生物・地学、そして社会は世界史・日本史・政治経済のフルコースだ。おまけに芸術や思想なんかも範囲に入っていた。唯一、数理パズルみたいな問題は楽しかったけど、それ以外は苦痛でも快楽でもない「無」の暗記作業を続けていった。

 

・・・というのは一次試験の話で、まあ一応合格できたんだけど、二次試験はガッツリ物理の記述問題と小論文があった。僕は自己推薦という堕落者ウエルカムな面接オンリー院試で大学院に入ったため、はっきり言って物理の勉強なんてまともにしたことがなかった。公務員試験のために初めて力学・電磁気学量子力学統計力学などを勉強することになったのだ。で、本番はギリギリできたけど、ほとんど対策をしていなかった小論文で落ちた!昔から読書感想文やレポートの作文が大嫌いだった僕は、何の意外性もなく小論文でやられてしまった。国家公務員一直線で、民間企業の就活はしてなかったのに。

 

こうして、同期は次々と内定を取り、そして入社していく中で「ふんふーん♪ 僕はもっと素敵なお仕事を見つけたんだもーん♪」とか思って、全く落ち込むことなく就職浪人して再度公務員試験にチャレンジした。本当に思い込みというのは恐ろしい・・・。

(続く)

 

 

※今度、理系のキャリアをテーマにしたイベントをやろうと思っています。それで、今ちょっと自分の回想録を書いてます。僕のキャリアはともかく、「自分のキャリア」「理系のキャリア」について考え、みんなと一緒に議論したいという方の参加をお待ちしています。


理系イベント情報 » 理系キャリアイベント(第1回) ~社会に出てから困らないために、今できること~

 

 

 

自己紹介ページはこちら

僕のキャリア ~物理研究者になりたかったけど気が付いたら社長やってるわろた~ (その3)

 

研究者になりたいと「なんとなーく」思っていた夢は、「なんとなーく」その道を辞退して、普通の就活をしてみることにした。最初は何をしたらよく分からなかったので、とにかくいろいろ動いてみようと思って、就職課にふらっと言って話を聞いてみたり、学内の合同説明会に行ってみたり、リクナビを眺めてみたり、そして国家公務員の説明会にも行ってみたりした。

 

公務員?はぁ??何が面白いの??・・・そう思っていた僕だが、就活序盤ではとにかくあらゆる場に行こうと思っていたので、超乗り気じゃないまま大学内で行われた国家公務員の説明会にも顔を出してみたのだ。これが僕の「血迷ったキャリア」の始まりだった。

 

国家公務員Ⅰ種採用試験に受かって省庁に採用された人たちを官僚と言う。僕が顔を出した説明会に来ていたのは官僚だったし、その説明会が開催された目的も大学生を官僚にさせることだった。おそらくほとんどの人がそうであるように、僕も「官僚」という響きに良いイメージは持っていなかった。何かとメディアで叩かれている。それだけの理由で。

 

しかし、実際に会った国土交通省の、経済産業省の、そして文部科学省の人たちはとても輝いていた。本気でより良い施策を考えていたし、何よりも話をしていて「この人たち賢い!こういう人たちと働きたい!」と思えた。僕は一気に国家公務員になることに興味を持った。特に経済産業省文部科学省に入れば、僕の好きな科学技術の推進や普及に関係する行政に携われるじゃないか。よく考えたら研究組織っておかしいことがたくさんあるじゃないか。もしかしたら研究者として優秀な人はたくさんいるけど、サイエンス全体を盛り上げられる人ってあんまりいないんじゃないか?それこそが僕がやるべきことじゃないのか?これはもしかしたら天職を見つけちゃったんじゃないか?

 

僕の妄想はどんどん膨らんでいった。

(続く)

 

 

※今度、理系のキャリアをテーマにしたイベントをやろうと思っています。それで、今ちょっと自分の回想録を書いてます。僕のキャリアはともかく、「自分のキャリア」「理系のキャリア」について考え、みんなと一緒に議論したいという方の参加をお待ちしています。


理系イベント情報 » 理系キャリアイベント(第1回) ~社会に出てから困らないために、今できること~

 

 

 

 

 

 

 

僕のキャリア ~物理研究者になりたかったけど気が付いたら社長やってるわろた~ (その2)

 

僕が入学した大学の理学部は、2年生に上がる時に学科を選ぶシステムだった。数理学科・物理学科・化学科・生命理学科・地球惑星科学科の5つの選択肢があり、僕はお勉強する教科としては数学が一番得意だったけど、研究は宇宙に関することがいいと夢見ていたので、地球惑星科学科を志望していた。

 

しかし、入学後にたまたま理学部の先輩(名前すら覚えていない)から、「地球惑星科学科は太陽系内のことを、物理学科はその外のことを扱ってる」という話を聞いて、じゃあ物理学科に行こうと思った。その選択に要した時間≒0だ。もちろんそれは僕にとって良い選択だった。

 

4年生から研究室配属があったが、これまた何も悩むことなく選んだ。分野は素粒子物理学の実験なので、一応宇宙の研究と言えなくもない。でもその研究室を選んだ一番の理由は教授だ。授業で話を聞いているうちに、「あぁこの人のところで研究したいなー」なんて思ったのだ。授業自体が面白かった訳じゃない。単なる電磁気学かなんかで、むしろつまらなかった。でもその先生が発する言葉はいつもハキハキとしていて、表現もストレートで、エネルギッシュだったのだ。血の通った自分の言葉で話しているという感じだった。

 

ところで、僕は大学に入学する時点では、博士過程まで進学してそのまま研究者になりたいと思っていた。でも4年生で研究室に配属され、同じ研究室でM1、M2と毎日研究をしているうちにそういう考えは失せていった。理由は2つあって、1つは他に優秀な人はいっぱいいるし別に僕がならなくてもいいじゃんって思ったから。もう1つは、ここに居続けたくないと思ったから。僕はサイエンスが好きだし、特に素粒子物理学はその中でも最も根源的なことを扱う分野であるという変な満足感みたいなものは持っていた。でも、研究生活はなんか楽しくなかった。研究じゃなくて研究生活が。とてもじゃないけど博士課程でもう5年頑張ろうという気は起きなかったのだ。5年間!?そう、僕のいた研究室では博士号を取るのに「最低でも」5年間は必要なのだ。

 

じゃあ、どうするか。普通の就活でもするか・・・?

(続く)

 

 ※今度、理系のキャリアをテーマにしたイベントをやろうと思っています。それで、今ちょっと自分の回想録を書いてます。僕のキャリアはともかく、「自分のキャリア」「理系のキャリア」について考え、みんなと一緒に議論したいという方の参加をお待ちしています。


理系イベント情報 » 理系キャリアイベント(第1回) ~社会に出てから困らないために、今できること~

 

 

 

 

 

僕のキャリア ~物理研究者になりたかったけど気が付いたら社長やってるわろた~ (その1)

 

僕は中3の夏から通っていた進学塾にそそのかされて、高校はそれなりに実績のある進学校に行くことになった。調子に乗った僕は、入学した瞬間から全く勉強しなくなり、赤点取るわ先生から呼び出されるわで、なかなかの劣等生だった。1年生から2年生に進級できなくなる恐れがあり、母親まで呼び出されたこともある。僕はヘラヘラと笑っていたけど、親は心配しただろうな(笑)

 

高校2年生になる時、理系か文系か選ばなければならなかった。全く微塵も迷うことなく、僕は理系を選んだ。理由はない。呼吸をするように、ナチュラルに理系という道を選んだ。何が悲しくて、数学の時間を減らしてその浮いた時間を国語や歴史に割り当てる「文系」とかいう道を選ばなければならないのか。意味が分からない。いずくんぞ文系にいく理由があらんや。僕が高校3年間の古典の授業で会得したのはこの文法だけだ。

 

高校3年生。これまで通り、全く勉強したくなかったんだけど、物理とか数学は最低限の原理原則みたいなのを理解して、実務的には式を2つか3つくらい覚えて、あとはテスト中に考えれば問題解けるじゃんということに気付いた。いや、とっくに気付いてはいたけど、2~3個の式を覚えておく努力をやっと始めることができた。その努力の全てはテスト当日の休憩時間10分の間に行われたのだけれど。しかし、英語は全然ダメ。結局、卒業するまで速読英単語必修編の半分も終わらなかった。センター試験当日にもまっさらなページを開いて単語数を増やしていた記憶がある。

 

そんな超不真面目だった僕は、度々行われる進路希望調査で、いつもどこかの大学の「理学部 地球惑星学科」みたいなのを書いていた。ロケットや宇宙開発にはあまり興味がなかったけど、なんとなーく宇宙に興味があったような気がする。何も知らないくせに宇宙の研究は面白いと思ってた。太陽系の惑星は内側から水金地火木土天冥海。それが宇宙に関する僕の知識の全てだったにもかかわらず。とにかく宇宙の研究って何か魅力的な響きがあった。それに、国語も歴史も英語も大嫌いだった僕は、工学部より理学部の方が、より文系から遠い世界に行ける気がしていたのかもしれない。

 

結局、家から近いという理由で、そして「ここは宇宙系の研究が盛んに行われている」というどこかから聞きかじった知識を根拠にして、僕は名古屋大学の理学部に行くことにしたのだ。大学に入ったら心を入れ替えて真面目に勉強しよう。そう心に誓って。

(続く)

 

 

※今度、理系のキャリアをテーマにしたイベントをやろうと思っています。それで、今ちょっと自分の回想録を書いてます。僕のキャリアはともかく、「自分のキャリア」「理系のキャリア」について考え、みんなと一緒に議論したいという方の参加をお待ちしています。


理系イベント情報 » 理系キャリアイベント(第1回) ~社会に出てから困らないために、今できること~